滝畑の大滝と炭焼き体験に参加
今日は10キロぐらい歩いただろうか。
最初は村の中を歩いて
吊り橋を渡って
風情のある村の中をくぐり抜けて
途中で休憩したり説明を聞いたり
やっと、やっと大滝に到着
やっぱりこの滝は素敵だ!
10時頃出発して12時半ごろやっと出発地点に帰り昼ご飯
十分休憩してからいよいよ炭焼き。
というか、滝に行く途中で松ぼっくりなどを拾ってきて
それを炭にするという。
小さな空き缶に松ぼっくりを入れ2カ所釘で穴をあけ針金でくくる
それを網にのせて火をつける
焼き上がったら土を被せる
そしてさめるまで光滝に出かけた
そこからちょっと横道にそれて山の中に炭焼きの跡を見る
こんな小さいのだとは。
帰ってから話しを聞いたところ、山主さんからで権利を買って
炭焼きしたそうだ。あっちこっちの山に釜を作って炭を焼いては
次ぎの山に移動するというぐあいだったそうな。だからこのような
コンパクトなものなのか、それとも以前の形が変わってしまったのか、
いずれにせよこんな感じで炭を焼いていたのだろう。
その後炭だけでは生計がたてられなくなり、今では誰も継ぐ人が
いなくなったそうだ。
今回とても嬉しかったのはこの杉林の上に小屋がある。そこは
水力発電をしていた場所だそうだ。これも後で聞いたのだが
私の父は20代ぐらいの時ここで働いていたのだ。
河原に帰ってくると今日話しをしてくれる人が待ってくれていた。
おじいさんが炭焼きをしていてよく手伝っていたそうだ。
なんと、その人は私が滝畑で暮らしていた時に3、4軒となりに
住んでいた人だった。聞き慣れた名前が次々に出てくる。懐かしい。
顔を会わすのはもう50年ぶりかもしれない。
先ほどの水力発電所は父ともう一人の人が働いていて、凍り豆腐の
小屋に電気送ってたんよ。という。宮本常一の本によると最初は
凍り豆腐の調査の為に滝畑に来たそうだ。
私が暮らしていた時はもう凍り豆腐は作ってなかったのでぴんと
こなかったのだが繋がった。そして父もその歴史の中に暮らして
いたんだと思うと感慨深かった。
朝鮮の人が炭焼きを手伝いにきていたという。そういえば同級生に
お父さんが朝鮮人(と大人が言っていた)の友人がいた。
その人も炭焼きを手伝いに来ていたのだろうか。小学一年生の私
には知らないことだらけだった。
炭俵やわらぞうりの話しはおばあちゃんを思い出す。
こんどゆっくりお話聞かせてねとお願いした。
出来上がった炭のまつぼっくりなど
かわいい!