友へ
9月
あんたが残してくれたお金で家を買ったよ。そこは山深い村の一軒家。いえいえ古民家という感じではなく、ごく普通の平屋です。安かったのと私が生まれた村やったから。周りに3軒ほど家があるけどものすごく静か。なんといってもコンビニがないんよ。それに店も。それがいいんよね。もし買い物したかったら人に頼むしかない。でも人を頼るとうのもいいもんや。
最初は掃除から始めたよ。ばあちゃんが一人住んでて、そのままやったんで、ものすごい量の物があふれてた。使えるものは使わしてもらうけど、ずいぶん捨てた。捨てるのがいやな私はストレスいっぱい。
でも、何もなくなった部屋はものすごくいい。畳だけ。仕切ってある襖をはずすと24畳ぐらいあるかも。田舎の家はすぐれもの。人が何人でも集まれるようになってる。
大掃除をした。入れ替わり立ち替わり人が来てくれた。普通の家がピカピカしてる。すり切れた畳やけどみんなが拭いてくれて、触るとさわさわしてる。人の手の跡が残ってるような、なんとも言えない空間。
あんたがここを私に贈ってくれたので、私もここを次の世代の人に贈ろうと思っている。
あんたは身寄りがなかった。お金があったかもしれんけど、きっと不安だったやろうね。私はあんたに贈ってもらったおかげで、安心できた。来年はどう生活できるか。どう稼ごうか。追い込まれたときもあった。でもあんたのおかげで安心できた。だから、もし住む家がなく、お金も身寄りもない人でも安心して堂々と死んで行ける場を作ろうと思った。
畑もあるんよ。好きな人が畑をし、収穫して食べ会ができたらいいやろ。裏に水が湧いてて、沼地のようやけど、そこに池でもつくろうやと。人がいっぱいいると、なんとかなる。床が落ちている部屋もみんなで改修しようとしてる。始まりの集いには60人も寄ってくれたんよ。年寄りも若い人も。遠くの人も近所の人も、いっぱい集まってくれたんよ。
どうしてもあんたがいなくなったと思えず、やっぱり悲しいよ。いつかふっと現れるような「ご飯一緒に食べよう」と。でもだんだん記憶が薄れていく。でもいいよね。ここに記憶がとけ込んでいくので。
ここに果物の木を植えたいな。そうそう家の前には栗と柿の木がある。このまえ栗を取って食べたけどまだ青かった。柿も楽しみや。それに材木をたくさんもらったんで、濡れ縁も作ったらと言う声。その縁側に夏は冷たいお茶をおいといて、サイクリングやハイキングの人に飲んでもらったら。あっハンモックも置けたらいいな。釜戸も作りたいし、ピザ釜も・・・
夢がいっぱい膨らむ。
やりたいことがある人が自由に集える場にしたいんよ。
11月
滝畑の家を契約してから、5ヶ月。私は今、ものすごくボヨ〜んとしてる。何もしなくていいような。ただ、ふわーとしていたいような。幸せを包んでいたいような。
家にはヤモリがいっぱい住んでる。襖をあけると頭の上に落ちてくる「ぎゃー」とつい大声だしてしまう。でもなんとなくかわいい。
なんだろ!人が来てくれること。家を、したい人たちと一緒に床はりしたりする、釘を打つ。釜戸でご飯たく。みんなで食べる。栗ごはん作る。元の家主さんがくれた渋柿を吊るす。畑を教えてもらう。草を刈って、その上に小麦を蒔いて、足で踏む。雑草は水が無くてもはえると、そうやんねえ!なんだか普通の、ただただ生まれてきたことを、普通に生きていくことをこの地で触れる。
あんたがくれた家、笑ってるようや。