長い長い5日間の夏合宿が終わりました。
すごい暑さと熱気でくらくらになりながら、真剣に話ができたと思います。
その間、大家さんからアイスの差し入れがあったり、長野県からとうもろこし、おいしいお菓子などいろいろ。
またフラダンスをみんなで踊ったり、野外上映会をしたり、海で泳ぎ、温泉に行き、島巡りと各自楽しんでくれたようです。
手伝ってくれた方々にはほんとにお世話になりました。
ありがとうございました。
<初日>さて、初日の午前中は野崎さんの話。
大阪朝日放送が始まって2年目に就職したこと、その当時は女性差別が激しい職場で、組合を結成したり、裁判を起こした地域もあったそうです。朝日放送は雇用機会均等法が施行されるまで20年間女性社員を一人も雇わなかったという話にはびっくりさせられました。
野崎さんが関わってきた活動の一つに『放送と女性ネットワークin関西』という団体がある。女性の本音が出てこないワイドショーをなんとかしたいと、視聴者と一緒に関西でがんばって番組作りしている女性に賞を送り、12年間励ましてきた。その経緯を聞きました。
午後は川上隆さんに北米やオーストラリアの市民メディアの事例を話してもらいました。
カナダでは「住民が映像づくりしていく目的は、コミュニティの問題をあきらかにし、地域を良くしていくことだ」また、ユーストリームやネット放送など盛んになってきたので、米国のパブリックアクセスは危機的な状況になってきている。しかし、ネットだけでは広がりがない。自己の思い込みだけの狭い中だけになりやすい。コミュニティが支えているところだけが残っている。などの話。またオーストラリアではアボリジニや視覚障害者のラジオ局や若者だけでやっているラジオ局やシニア(50歳以上でないと入れない)がやってる番組など多様な人たちが関わっているのが面白い。
<2日目>午前、ドイツの市民メディアの状況をサシャさんが報告。
歴史からオープンチャンネルの制度まで丁寧に説明。
ドイツにはオープンチャンネルと自由ラジオと市民ラジオと大学ラジオと教育チャンネルがある。設立目的は意見の多様性を作り、言論の自由を促進すること。広告は禁止で検閲は無いが、違法な内容の場合は起訴される。その責任は制作者にある。サシャたちが制作していた番組には国と大学から資金が支払われていた。オープンチャンネルには公共放送の受信料の2%が支払われていたので制作講座を無料で受けることができた。
しかし、番組制作がネットに向かっているので、現在オープンチャンネルはメディア教育の活用として使われることが増えてきたそうだ。
最後に自分たちが制作した番組を見せてもらった。
午後からは岩本さんの話。
市民メディアの始まりから変遷の話。実は地方の難視聴対策として番組が始まったという話におどろき。牛小屋から発信を始めたり、たった2名で自主放送したCATVなどユニークな市民メディアが無数に出て来た話。
技術はもういいのではないか。何に向かって、どんなコミュニティ、どんな関係を作ろうとしているのかが大事だ。今までマスコミに報じてもらってきたが、自分たちで運動を発信していくようになってきた。
メディアは単純な道具なので、思い思いのことをやっていって良いのだよ。誰しもメディア、誰しもジャーナリストだ!という強い言葉に納得!テクノロジーが広がり、検索機能の充実やツイッターなどで今後は広がっていく可能性も大。
バラバラのメディア・人をどう繋いでいけるか、広がっているというが、まだバラバラ。仕掛けを作っていかないといけない。とういう提議で締めくくられた。
<3日目>午前は下之坊がカフェ放送てれれの経緯を話す。
関わった個々がどんどん変わっていくのがすごいと思った。またてれれを継続するためには皆で自分たちにとって必要なメディアとして支えほしいという話。その後てれれ上映を行い、4つのグループに別れて『市民メディアを耕す』ということについて話あってもらった。約1時間、話をしてもらった。これに関して私は全部聞ききれてないので少しだけ。
ある班はFMラジオ局たちあげの研修での話で「市民の通報で裏をとらずに流しても良いか」「もし取り上げなかったら市民の通報がだんだんなくなるかも」「あれは間違いでしたという報道も有って良いかも」などなかなか面白い話題。あと「市民っていったい何?」という議論をしていた班も、またいろんなメディアが有って良いということから京都の恵文社とう本屋、いろいろな本がぐちゃぐちゃに置かれているそうだ。まちのリトルプレスとHPにでている。そんな本屋の話から市民メディアを伝える場を生み出すことが耕すことになるのではないかという話。そしてもう一つの班はなんと『市民メディアを耕す』というテーマでミニドラマを作ってしまった。これがまた的のついた良い表現になっている。てれれに応募してくれるそうなので乞うご期待!
午後は坂上さんの話
まずはNHK改ざん問題の真相をお話してもらった。マスメディアの構造はどうなっているのか。その当事者としての話。
それと今、津田塾大学で取り組んでいる事。自身の映画づくりに至るまでの経緯。子どもの頃いじめにあい、その時いじめた人よりそれに気がついていた大人の対応に、誰も自分を救ってくれないという絶望を感じた話。渡米の話から『ライファーズ』というい映画を制作したこと、また今も刑務所に出向いて取材していることなどを話してもらった。
そして表現できないと思い込んでいる人に場を作っていく事のたいせつさ。
しゃべっても、表現しても良いという安全な場が必要だということ。
参加者から「表現は権力だ」という声に「女性は今までその権力を持ってこな
かった」「がんばって表現してもつぶされることがある」という声に対して、少しずつ出るという場が必要かも。表現していく力=人として生きていく力だ。
参加者に質問として「表現活動にアクセスしやすい環境をどうすれば良いか?」
「多様性を認めあうにはどうすればよいか」「何を言っても良い。それを認めた上で、バラバラに存在しても共有できるプラットフォーム、ゆるやかに繋がれる回路とは?」が坂上さんから出された。
てれれがその一つになってほしい。なっていると思う。
サポート体制が大事(NPOや支える人やサポートネットワークなど)
レスポンスする仕組みがいる
誰かが見て言う仕組み、言い合える場作りの工夫が必要
face to faceが大事ではないか
時間ぎりぎりまで話が盛り上がる。
<4日目>午前中みんなに島を満喫してもらい、午後からの講座は東さんの話。
ヒロシマ平和映画祭の事務局長をしている。立ち上げから昨年で3回目までの映画祭に関わってきた。コンペをしないとうこと。ボランティアではなく実行委員会形式をとる。ドキュメンタリーの新作と過去の商業映画を上映。みな手弁当で総予算230万円、毎回50本の映画を上映。その工夫として、会場は一般映画館を巻き込み自分たちの観たい映画をその映画館で上映してもらう。などいろいろな工夫をしてきた。
自身東京で暮らしていたが広島に帰って来て、反核だけが平和ではない、反貧
困やフェミニズムの事を語れる仲間がいないと失望していたが、映画祭を通じ
ていろいろな人と出会ったという話。
ヒロシマ平和映画祭は来年だ。楽しみである。
この後音楽の話に続き、Swing MASAとトーク。
このへんでみな疲れがピークになってきた(もしかしたら私だけかもしれない
が)少し早めにトークを切り上げ食事に。
夜、Swing MASAのライブ。
外で聞けたらいいな。海の横で聞けたらいいなという思いを告げると、無謀なリクエストにSwing MASAは答えてくれた。
一曲だけで良いからとお願いした。高根島の海水浴場まで、皆ぞろぞろと海岸
を移動。最初、私は島の人から文句がでないかヒヤヒヤしながら見守っていた。
しかしあんまり良いので聞き入って心配はいつの間にかすっ飛んでいた。サックスの音が隣の島にこだまして何層にもなって返ってくる。もう、なんとも言えない演奏になった。MASAも20分ほど吹きっぱなし。きわめつけは終わるなり対岸から口笛。それにマサが答えてサックス。また口笛。サックス。なんかすげえことになった。
<最終日>山根さんの話。
学生が講師になるということでお願いしていたが、学生といわれるのがいやになってきたという話から始まった。いろいろ活動している総合大学の人や表現活動している芸術大学の人や教授なども含めて、まず4名のインタビュー映像を見ながらみんなでディスカッション。
「学生が学生まっただ中にいて学生について語れるのか」という投げかけから、
「学生って何?」という話になり、就活で忙しいので休校にしますと学校が用意している始末。学問より就職優先になっている。学校にいて何かしたい時、自分を変える必要があるというシステムが作られているような気がする。など意見がでた。自分の学生時代の話や我が子の話も。
そこからメディアの話に戻った。
情報が多いが咀嚼されないまま出てくる情報では会話がなりたたない。情報が
繋がっていかない。ネットはデータ・文字列・数値の集まりなので、手あかと
か血とかドロドロしたものがないと機械をうまく使いこなせないのではないか?アートでも見る人のためではなくギャラリーのためのプレゼンがうまい人の作品が流通する。テレビでもスポンサーのための番組になっている。私達のために作っていない番組にフィードバックはできない。もっと中身をちゃんとすることに時間を使いたい!
午後からは5日間の感想を述べ合った。
遊びに来た。疲れた。イライラした。てれれに出品するためになんで会員にならんなあかんのか。色々体験出来、その全部が生活という実感があった。講師も前夜一緒に飲んで、その話を受けてドラマチックに講義に反映されたのがよかった。同じ釜の飯を食い、昔やった共同体のような感じだった。この関係は私らの求めている社会変革につながっていくのではないか。てれれは非常に重要だ。ここでしかできない演奏をしていきたい。昔あったコミュニティのようなものがまた新しいコミュニティとして出来てきている。
最終日は少し人数が少なくなったが、それぞれに思い思いのことをしゃべりあった。
なんだかとっても無謀な乱暴な企画だったかもしれないけど、帰りの電車の中ではちょっと感傷的になってしまったぐらい思いが深かった。とにかく暑かった!それに人の出入りがすごかった。でも外観じゃなく中身の濃い合宿ができたと思う。
誰もが表現活動にアクセスしやすい状況を作るためにはどうするか。
多様性を認めあいながら、バラバラに存在するコミュニティをどう繋げていくか。そのキーワードは顔と顔が見える関係を大切にし、外観に振り回されず、やりたいことをやる。【市民メディアを耕す】とは、人と人の関係を耕すということにつながる。
そんなことをこの5日間かけて話あった。
(下之坊)
※あーねこーね塾夏合宿2010「市民メディアを耕す」の講座内容はこちら
http://blog.canpan.info/terere/archive/274